最近、話題の「富士宮焼きそば」の取材に出かけたが、まず「やきそば」を食べなくては……。入ったお店は中心街にあるG店。普段は客自らが焼くシステムらしいが、お願いして焼いていただいた。厚くて大きい鉄板の上に蒸し麺が乗り、エビ、肉、キャベツなどを混ぜて焼く。かなり火力を強くしてあるので、出来上がりも速く、早速いただく。ウーム、やはり麺は固めだ。歯ごたえがあってなかなかおいしい。これが話題の「富士宮やきそば」かと、ゆっくりと味わう。聞けば、小麦粉と水で練って麺を蒸した後、麺を強制的に冷やし、油で表面をコーティングするので、水分が他の麺に比べ少なく、コシのある麺ができるのだそうだ。どうしてこんな製法をとっているのかは、別掲をご参照願います。
店を出て富士宮の中心街を歩くと写真のような、かなり目立つオレンジの「のぼり旗」が所々に立っている。これはいい目印だ。しかし、メインストリートから少し入った小路の方が「のぼり旗」の数が多く見られるのは、焼きそばはあくまでも庶民的な食べ物のせいだろう。
浅間大社近くにある“まちづくりサロン「宮っ」”に着くと、「富士宮やきそば学会」会長の渡邉英彦さんが待っていてくれた。渡邉さんは現在42歳の好漢。「静岡・未来・人づくり塾」を修了し、まちづくりへの関心もかなり高いと見受けたが、本業は保険代理店経営。最近はテレビなどに登場することも多く、ご存知の方も多いことだろう。
どうして「やきそば」なのか?
「昨年、中心市街地活性化の方策を探るため、市と商工会議所が企画したワークショップに参加したわけですが、その参加者の方々と街づくりについていろいろ検討したり、実際に街中を歩く中で、市内には焼きそば店がかなり多いことに気付きました。しかも富士宮独特の硬い蒸し麺を使っているといった特徴も改めて注目したわけです。」
「そこで、独特の硬い蒸し麺をPRすることで、街の活性化につなげられないかと、会員22人で昨年の11月『やきそば学会』を発足しました。そして、会員が“やきそばG麺”(Gメン)になって、市内の焼きそば店を食べ歩き、マップづくりやホームページの開設をめざして活動してきました。」
それがマスコミで何度も取り上げられ、いま大きな話題になっているわけである。ワークショップに参加された方々の着目眼に感心させられる。
「マスコミ各社の取材を受け、それが話題先行のようになってしまったところもあり、当初は市外の方に十分な情報提供ができない面がありました。しかしマップもこの四月に完成し、それにあわせて“やきそばやってます”と店の前に立てる「のぼり旗」も完成しました。この「のぼり旗」は、学会で作って、店の方に買っていただいていますが、来訪される方々にわかりやすいと好評です。先ごろのゴールデンウィークには浅間大社で流鏑馬も行われ、市内もたいへん賑わいましたが、マップを持って市内を巡る方も多く見られ、どこの店もお客さんが増え、夜遅くまで混雑していた店もありました。もちろん、そうした休日だけでなく、総体的にお客も増えていることは確かで、富士宮へ来る方も必然的に増えていると思います。」まさに、活性化に大きな効果を生んでいる。
ところで、こんなもの見ましたよと道路公団が発行したパンフレットを渡邉さんに見せると、
「そうなんです。最近かなりの盛り上がりで、道路公団の道路パンフレットにやきそばが登場したり、“この麺には、このビール”などと宣伝にも使用されたり、各所で取り上げられたり、利用されるようになりました。話題が話題を呼んで一人歩きしているような感じもしますが、ともあれこの富士宮焼きそばが注目されることはありがたいことだと思っています。」
と、謙虚に話してくれたが、これからの計画は
「このやきそば学会は、勝手連的にやってきたものですので、これからは店主や事業者の皆さんと話し合いの場を持ちながら、事業者と市民が一緒になって情報発信して、富士宮やきそばのグランドイメージを定着させていきたいと思っています。それから、どこの店が美味しいよといったランク付けを、私たちがやるのは難しいので、インターネットを使って外部の方による投票で人気店を紹介したり、料理コンテストやフェスティバルなどもやってみたいですね。」と、夢はつきない。
活動してまだ一年も経たないうちにこれだけ話題になるなんて、すばらしい。もともとあった地域資源に着目して、大きく広げようとする学会の皆さんの活動は、他の大きな参考になるだろう。
戦後、富士宮市の商店街には山梨県の身延線沿いの人たちが、買出しに来て賑わっていた。彼らは、手ごろであるやきそばを好み、地元に持ち帰っていた。そうした人たちのために、当時、製麺会社が日持ちのする製法を考え、油で周りをコーティングする蒸麺製法を考案した。この蒸して、油でコーティングする方法は、腰があり、硬めでで、食感がよく市民にも好評だった。
近年、大手の食品メーカーが柔らかいやきそばを全国展開し、一般に普及していったが、富士宮ではやわらかいやきそばは、あまり市民に受け入れられなかった。そうしたことから、現在まで富士宮地域においては独自のやきそばとして市民にこの上なく愛され、富士宮の食文化として形成されている。